今回は、堀池英二さんにレポートを書いてもらいました!
[writer] 堀池英二(ほりいけ えいじ):大学より演劇をはじめ、卒業後もフリーの役者として、さまざまな団体で舞台にあがる。えんげき屋さんもお世話になっている、通称・山口の武器屋さん。
9月23日18時、ユニット・ピコさんの「マリオネットに花束を」、観ました。
私はもともとこういうお話しは苦手で、以前劇団笛さんでの公演を観劇したときもライトノベルやラジオドラマみたいだなぁくらいにしか思わなかった。 女性がメインにいて、色恋事で複数人がモヤモヤムラムラするような甘いお話しを、舞台で観るのが楽しいと私は思わなかった。
では今回、赤れんがでのユニット・ピコさんの「マリオネットに花束を」はどうだったか。 たしかに、同じ脚本で同じ甘いお話しだなとは思った。しかし、観終わったあとの充足感は、ちゃんと演劇であったしちゃんと舞台であったと思う。 あとで聞いたところによると、出演者の半分は演劇初心者だったという。しかしメリハリや緩急、空気の変化などかなり精錬されていると感じた。
大きいのは、佳代をメインに据え、その他5人を偶像=マリオネットのようにしたことだと思う。 白いフード付の衣装に身を包んだその他5人と会話する佳代は、まるで自問自答の禅問答のよう。その姿はアンサンブルやダンス、合唱のようにもみえて昔の小劇場の演劇を思い出した。 それは舞台装置にも表れていた。 花びらは中心も含めて6色、演者の使うなにも置かれていない椅子。演者が椅子から椅子へ移動するたびに、その6色が徐々に混ざり合っていく。 まさに佳代が自分自身の偶像と対話し、心の色が混ざり合っていくのを表しているようであった。理路整然とした花ではなく、複雑な色合いになった花こそが佳代の心として自然で正しいように、ヒトの心というものは一様ではないと、舞台の床を観て思った。
しかし、ストーリーの進行具合と花びらの散り具合が一辺倒だったのは少しもったいないと思った。佳代の心に焦点をあてているからこそ、急だったりゆっくりだったりでよかったように思う。それに、混ざり合った花びらはきれいだとは思ったが、もう一段階なにかないかと期待してしまった私もいた。 また、最後の最後で俊孝が言葉を発したとき、あれは偶像=マリオネットとしてではなくキャラクターとしての俊孝の言葉だと思った。だからこそ、衣装や大道具での何かしらの演出が欲しかったと感じた。
観終わって。
苦手なのだ。やはり今でもこういう甘いお話し、モラトリアムは。
しかし、たしかに客席にいる間はそのアツさにあてられてた気がする。 観るうちにどこからか、うかれた熱にあてられて、その連帯感一体感にのまれていく。 その感覚はもしかしたら、心地よかったのかもしれない。
またユニット・ピコさんの公演に行って確かめなければ。
堀池英二
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