このごろ、山口で演劇をやること、について考えていたりするので、つらつらと書いてみようと思います。店長個人のつぶやき的なところですが、ちょっとでも共感したりここから何かもっと企画として広げていけないか、とも思い、記録的な意味合いも大きいかも。
山口で演劇ってどうなっている?と見えない部分もぜひ見えるようになってきたらいいかもしれません。
「演劇を地方でやっていくこと」
――まずは商業的なところから。
山口という地では、演劇というものが商業にのることはない。
舞台公演を行う際、出演者にギャランティーが発生することもほぼない。もちろんゲスト枠的な形で音楽劇やTVのCM、行政の関わる事業に参加したりオシゴトをした場合は、謝礼が発生する。
山口だけというわけではなく、多くの地方がそういう状況だと思う。
演劇にはとっても時間がかかる。お金もかかる。もちろん節約したり、短期で実施するなど工夫することは可能だけれど、莫大なエネルギーが必要になることは間違いない。
なので演劇=食えない芸術として、基本的にはここで演劇や演技をなりわいにすることは不可能と考えられているので、そもそも「芸術で食べたい!」「演劇を続けられる!」というマインドも育ちにくい。あたりまえだが演劇では食えないので、みな別に働き口があり、それで生活している。これは都会でもそうで、一握りの人しか芸術で食べていないのだが、「食べていける憧れの存在や夢、場所」はここにはない。逆に、正社員で働いているがゆえに、儲かってはならないという事情もあったりする。
「芸術で食べたい!」「演劇を続けたい!」と両立を願う人は、都会へ流出していく。
ここで「演劇を続ける!」ことはできるが、モチベーションやクオリティを保つのは非常に困難なことだと思う。
それから、助成金をとっていくということも一つ、芸術とともに生きていく形である。
いくつかのアプローチ
→演劇は習い事・教室にはならない?
→演劇や演劇にまつわることで、ここで商業的に生きていくためには?
→モチベーション・クオリティを保つには?
→そもそもみんな演劇で食いたい?
→公演を黒字にするには?
その他うかんだぎもん
→「がんばっているね」などと声をかけられてしまうのは何故か?
→やりたいものをやる、には何かを犠牲にしなければならないのか?
などなどとりとめもなく書きましたが、いろんなトピック解決したり誰かと話したりする場をつくるのもいいかもしれない。また次、書きますね。
えんげき屋山口店 店長 宮﨑
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